8ビット箱

マイコンBASICマガジン

1982年7月号が創刊号のようだけど、わたしが初めて手にしたマイコンBASICマガジンは創刊号からちょうど1年後である1983年7月号からのこと。 それより前に出版されたものは、古本屋とかで100円以下の値段で買って、一応創刊号から揃ってた。 残念ながら、まさかその後にこの本がまた見たくなるとは思いもよらず、全て新聞と一緒に捨ててしまったのは、今まで生きてきた中でもかなり後悔度合いの高い過去の過ち。

マイコンBASICマガジンは、当時のマイコンブームを支えていた。 「ベーマガ」と略して、たくさんの人に愛されてきた雑誌だと思う。 今では考えられないかもしれないけど、読者が作って投稿し掲載に採用されたゲームのプログラムが印刷されていて、大作になると何ページにもわたって、プログラムが延々と掲載されていて、それを1文字も間違わないように、こつこつとキーボードで打ち込んでいく。 ただゲームをしたいだけでプログラムを打ち込んでいくだけでも、不思議とBASIC言語が少しずつ理解できていく。 ある程度のレベルまでは、この「打ち込み作業」だけで身についてしまうから、今となってはとても貴重な雑誌だと思うわけで。 変数の値を少し変えてみて、ゲームの動きに変化が現れたりするのを試してみたり、新しいアイデアが生まれれば、そのプログラムに追加してみたり。 16進で書かれているほぼオールマシン語のゲームも時々掲載されていて、さすがにこれはちょっと改造するのが難しかった。 適当に触ると、確実に暴走してしまう。 それよりも、16進数の羅列がずらっと並んでて、ミス無く打ち込むのがなかなか大変だったし、間違ってたら、大体は暴走してしまう結果に。

このマイコンBASICマガジンを片手に、スーパーの店頭でたくさんの小学生・中学生くらいの子どもたちがプログラムを一生懸命打ち込んでる姿は、結構普通によく見る光景。 今それをやったら、確実に邪魔者扱いで店から追い出されてしまうと思う。 店としては迷惑な客かもしれない。 だけど、当時の人たちは(わたしも含めて)プログラミング言語を身に着けて、その後に仕事として携わったりと、その人たちの人生にとって大きなキッカケになったことが、少なくないと思う。 お店の定員さん達も、今よりずっと寛大だったのかな。 わたしは仲良くなった定員さんから、マシン語を少し教えてもらえたりもして、お薦めのゲームを店頭のマイコンへロードしてくれて遊ばせてくれたり、いつかこういう定員さんみたいに、プログラムとか理解できたらいいなぁ、とか夢を抱いたりも。

そして、そのマイコンBASICマガジン休刊のお知らせは、わたしにとってはとても悲しいフレーズ。

しかし、ゲームはパソコンからファミコンなどゲーム機主流に、さらにソフトは「作る」より「利用する」社会へと変化しました。 残念ながら、プログラミングに興味を持つ若者の減少により「マイコンBASICマガジン」は休刊せざるを得ないと、判断するものです。

プログラミングするのは、ある種「芸術」に近いと思ってる。 「創る」よりも「観る」人の方が圧倒的に多いのはわかるけど、もし「創る人」がいなくなったら……一体、「観る人」はどうするんだろう?と。

今は、料理も音楽も、何でもそうだと思うけど、予め用意されたものを、ちょっと自分なりに変化させて満足できる時代だけど、「自分で1から創る(流石にゼロからってのは大変でしょうね)」ということが、また流行ればいいのにな、と思う今日このごろ。

今どきの、ほんのちょこっと変化させた程度で「カスタマイズ」とか言われると、ほんと痴がましいな、と。

まぁ、なんとなく、そう思うわけで。

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