8ビット箱

距離感の違い

海外、といってもアメリカ西海岸だけに限定となってしまうけど、向こうに行ったり、こっちに戻ったりを何度か繰り返して、確信的に1つ気づいたことがあったから落書きしてみることに。

人との 物理的な距離感論理的な距離感 が真逆かも。

もちろん個人的な経験がベースになってるわけで、違った意見や感想もあると思うけど、自分としてはそう確信に至ったわけで。

日本では東京や大阪で生活しているから、いわゆる街というか都会というか、人が比較的多く密集している地域での経験で、西海岸ではLA近郊だからやっぱり比較的人口が多い街なので、ある程度は比較できる状況として近いと思う。

そういうそれぞれの街で生活して感じたことが、その「距離感」の違い。

日本は土地柄(東京や大阪)の影響もあるだろうけど、人との物理的な距離が近い。 コーヒーを飲むときは隣の人の邪魔にならないように気を遣ったり、電車やバスでもできる限り人とぶつからないように気をつけたり、歩いている最中も歩きスマホしてる人を避けながら歩き進んだり。

その状況下の中、ふと観察していると、当たり前なんだろうけど、他人同士は顔を見合わせることもなく、言葉も交わすこともなく、時に他人と肩がぶつかったときには決まり文句の捨て台詞のように「すみません」と流れるように吐き捨ててその場から離れる、そういう感じ。

コンビニでレジに並んでお金を払うときは、買う側は特に何も言葉を発することもなく、売る側は「ありがとうございました」と決まり文句を流れ作業のように吐き捨ててトランザクション完了。

無駄のない、合理的、かつ、スピーディなシステムには、日本人ながらも時々感心してしまう。

かたやアメリカで生活すると、これが完全に真逆になるのがまた感心してしまう。

コーヒーを飲む場所も、バーガー食べるときも、歩くときも、車に乗って走ったり駐車する場所とかも含めて、人との距離感がすごく離れている。 まれに狭い場所もあるけど、大抵は人との距離がそこそこ離れている。

コンビニでレジに並んでお金を払うときは、売る側は「その服どこで買ったの?」「今朝、テレビで***とか言ってたけど、どう思う?」「これ美味しいですよね、わたしも好きでよく買って食べてる」とか話し出すことが多いし、買う側も「ありがとう」だけでは済まなくなって「今日は暑いよなー」とか、後ろに並んでる人をあまり気にせずにおしゃべりが始まって、笑ったり、そういうことを喋らなくても普通に自然な笑顔で相手を見ることになるわけで。

さて、これをポジティブに捉えられるか、ネガティブに捉えるか、そこが文化の違いなのかな、と思う。 非効率で、時間もかかって、急いでいるときはちょっとつらいけど、個人的にはとてもポジティブに捉えてる。

最近あったことは、エレベータで乗り合わせた人が、わたしの服の襟が曲がっているよ、と突然さっと襟を直してくれることが。 もちろん全くの他人で、知らない人。 でも、そういうことが全く普通に、とても自然にやれる文化。 こういう距離感の近さはすごくいいな、と思う。 何もなくても、エレベータとかに乗り合わせたら、知らない人同士でもほぼ確実に「こんちわ」と挨拶するから、やっぱりそういう文化なんだと思う。

日本でエレベータに乗り合わせた人の襟をいきなり直したりしたら、もしかすると警察に呼ばれてしまうかもしれないなぁと思うし、そもそも知らない人に声さえかけない文化だから、ほんとにありえない。

それぞれの国で対応するために思考や行動を180度変えるのは慣れたけど、時々思うのは日本の文化は「人との物理的な距離感はとてつもなく近いのに、論理的な心の距離感はとてつもなく離れているな」と、個人的に思うから、ちょっとチラシの裏に書き殴ってみることにしてみたわけで。

まー、しかし、電車の中は異様な光景だな、というのはいつものこと。

1ヶ月くらい、インターネット全体が止まったら、この人達は一体どうなってしまうんだろう?

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