8ビット箱

8bitbox哲学:不要にする人達

人が楽しくなるもの、人が生きがいを感じるもの、人が感謝したくなるもの、人が人をもっと大切に思えるもの。

少し前の時代ではそういった「もの」が進化していた。

人が人の代わりになるもの、今の進化はほとんどここのように思う。

人が人の代わりを作ったら、人が人を感謝したり、もっと大切にしたいと思う機会を奪われていないだろうか。

奪われたその機会は、本当に大きなもので、奪われたその先は、無の状態。

テクノロジの進化は、人が進化させている。

「今」を生きている人は、それでいいかもしれない。

あなたにとって、それが名誉にもなり、そしてあなたを少しでも裕福にする「あなたのもの」になる。

だけど、「これから」を生きていく人は、「人の代わりの進化」が進むにつれて、最後には「自身が不要な世界」を人が作ってしまうことにならないだろうか。

昔は良かった、と懐古している人たちは、人が楽しくなるもの、人が生きがいを感じるもの、人が感謝したくなるもの、そして人が人をもっと大切に思えるものがたくさんあったから。

決して今を悲観するために懐古してるのではなく。

人が人のために磨き続けられてきた「匠の技」は、人が「人に頼るテクノロジ(技)」。

その技が貴重でもあり希少でもあるから、その技を大切にしようと、守ろうとする。

結果的に、それは「自身を守っている」ことに繋がっている。

「コンピュータ」や「ロボット」は人が笑ったり楽しんだり、そして助けたりする、「夢」の科学だった。

今、猛烈な速度で進化している技術は、最終的に人が苦しんだり悲しんだりする科学になっていくのでは。

自ら考えなくていい、自ら動かなくていい、今この瞬間の人に、それが「便利」という解釈。

そして、それが「イノベーション」だったり、他との差別化による自分や自社の優位性、そしてそれが手っ取り早い「自分たちだけの富」になる方法だと。

不便とか、ローテクとか、古くさいとか、そういうものを大事にするということを言いたいのでは無く。

ただ言いたいのは、今、進化しつつあるテクノロジは、近い将来、「便利」と感じていたものが「不幸」へ進んでいるようにしか見えないわけで。

そのテクノロジ、「人のため」ですか。

それとも、「自分だけのため」ですか。

やりたく無いことを代わりに任せられる「もの」をただただ増やすことは、「やりたく無いこと」を増産していることに、そろそろ気づく人が増えている事を、わたしは本気で願っています。

そしてあなたが将来、昔は良かった、と懐古しなくてもいい未来になることを、わたしは本気で願っています。

 [feed]


(C)2013-2021 hide.h all rights reserved. powered by all of my old memories.